「Very Very Sweet Girl」 そのA
俺の家は大学から電車三十分程行った所にある、閑静な住宅街の一角にあるマンションだ。大学三年になって一人暮らしを始めた。単位が足りなかったので、朝から学校の行く為だ。親の仕送りとバイトの給料で、生活はまったく苦しくなかった。
陽も暮れ、辺りは静かに夜の帳が落ち始めた頃、俺と雪香は家に着いた。夏目はクリーム色の薄布のセーターに焦茶色の長めのスカートという姿で、いつもよりも肌の露出が少ない服を着ていた。それでも、他の人よりはうんと薄着ではあったのだが。
しかし、その露出の少ない事が逆に、俺の欲情心に火をつけていた。勿論、それを表に出す事は無かったが、正直、今日こそはものにしてやろう、と躍起だった。
今日の夕食であるコンビニ弁当を入れたビニール袋を下げ、俺は家の扉を開けた。俺が入るとその後ろから夏目が「おじゃましま〜す」と元気よく言って入った。六畳一間、トイレ、台所、風呂は別々という、一人暮らに相応しい部屋だ。居間にはテレビとビデオ、ステレオ、ゲーム機、そして真ん中に小さなテーブル、壁際にベッドが置かれている。
そして何故か、この部屋には他の家具よりもうんと巨大な冷蔵庫がある。俺の実家は農家で、親が仕送りでよく野菜などを送ってくる。その野菜全部をしまう為に、自然にこんなに大きな冷蔵庫になってしまったのだ。
雪香はテーブルの上にコンビニ袋を置くと、ベッドに腰を下ろした。いつもと何も変わらないような仕草だったが、どこかいつもよりも少し落ち着いているように見えた。いつもなら、子供みたいにはしゃいだりするのだが、今日はそんな事はしなかった。
「ねえ、先輩。私の匂い、知りたいって言いましたよね」
テーブルに置かれたテレビのリモコンを手にしながら、雪香は俺の方を見て言う。俺はテーブルを挟んで雪香の向かい側に腰掛け、煙草に火をつけた。
「ああっ、言ったよ。もうそろそろ半月経つなぁ」
「今日、ひょっとしたら分かるかもしませんよ」
「えっ?」
俺が素っ頓狂な声をあげてしまうと、雪香はゆっくりと立ち上がり、テーブルに両肘を乗せ、俺の眼前に迫った。そして、囁くような声で言った。
「私、経験無いからはっきりとは言えないんですけど、多分、エッチな事するとその匂いってもっともっと強烈に感じると思うんです。そうしたらきっと、匂いの正体が分かるんじゃないですか?」
含み笑いを浮かべながら、雪香は面白そうな顔で俺を見つめている。そこには、恥ずかしさとか羞恥とか、そんな雰囲気は無かった。楽しみにしている。それが一番的確な言い方だった。匂いも、まるでその気持ちを表しているかのように、クリームみたいな匂いプンプン匂った。
俺は何と答えていいのか、一瞬分からなくなってしまった。それは良かった、と言えば、何だかただのスケベな男みたいだし、何だその理論は、と言っても何だか締まりが悪いように思えた。
「‥‥そうか」
結局言えた言葉はそれだった。迷いに迷った結果は最悪だった。でも、雪香はそんな答えをあらかじめ予想していたようで、クスリとだけ笑うとスッと立ち上がった。
「じゃあ、私、お風呂に入ってきますから。‥‥後ででいいですよね、ご飯」
「あっ‥‥ああっ。ちょ、ちょっと待てよ」
スタスタと風呂場の方へ歩いていく雪香を、俺はやっとの事で呼び止めた。俺の呼び掛けに、雪香は不思議そうな眼差しを向ける。俺はさっきから変な違和感を感じていた。それを雪香に告げた。
「何で‥‥そんなフランクな態度なんだ? お前」
そう聞くと、雪香は俺の方に体を向けて、軽やかにウインクをした。
「好きな人とエッチできるのが、嬉しいからですよ。‥‥先輩は嫌なんですか?」
そう言う雪香は、普段とどこか違っていた。いつもの感情を正直に表に出す感じではなく、少し喜んでいて、それでいて少し照れているような、そんなはにかんだ笑顔だった。俺はその答えを聞いて、頬を熱くしながら頭をかく。
「‥‥嬉しいよ」
「私もです。それじゃあ、ちょっと待っててくださいね」
細い腰をくねらせ、雪香は風呂場に続く扉を開けて中に入っていった。一人残された俺は、正面切って好きだと言われて、体の奥底からじんわりと熱さが込み上げてくるのを感じながら、煙草をふかした。
「‥‥」
今、部屋は何の匂いもしない。強いて言うならば、自分の匂いが漂っている。しかし、それは当の本人は分からない。雪香のあの独特の匂いは無い。あの匂いは残らない。雪香がいる時だけ感じる。香水か何かだったら、残り香というものがあるが、雪香の場合は無い。やはり、香水のような外部からの匂いではないのだろうか。
それに、雪香はエッチな事をすると匂いが強烈になる、と言っていた。という事は、あの匂いは雪香の体自体から出ている匂いなのだろうか。性的な興奮を覚えるとその匂いが体から出る。そう考えるのが妥当だ。でも、人の体から甘い匂いが出るものだろうか? 普通ならありえない。
でも、俺は雪香の全てを知っているわけではないから、彼女が“普通”なのかどうかも分からない。もっとも、普通じゃないとしても、俺の気持ちは変わらないと思うが。
とにかく、やってみない事には何も分からない。‥‥とか言いながら結局はエッチな事がしたいだけ、というのは雪香には内緒にしておこう。
「‥‥せっかちですね、先輩」
「うおわぁっ!」
突然後ろから声が聞こえたので、俺は背筋を突っ張らせてしまった。後ろを振り向くとバスタオル一枚の雪香がいた。いつもなら結ばれている髪の毛が僅かに湿り気を帯びて、今は露出された桃色の肩に張り付いていてえらく色っぽい。
「雪香‥‥いつ出たんだ?」
「たった今。先輩、全然気づかないから」
「あっ‥‥そうなんだ」
「先輩‥‥。後半、声が出てましたよ」
「‥‥マジ?」
「マジ」
後半とは一体どこからなのか気になったが、それを聞くのも恥ずかしかったので、俺はゴホンと一つ咳をして雪香から目を反らした。雪香はクフフフと笑って俺の頭をポンポンと叩いた。
雪香は俺の後ろで正座で座った。ちょこんと座っていて、何だかそんな彼女の体に触れる事にためらいが生じる。いけない事をしているような気になってしまう。勿論、彼女はもうとっくに十八を過ぎてはいるのだが、発育が遅いせいなのか、とてもそうには見えない。
でも、俺を真っすぐに見つめているその潤った瞳を見ていると、ムクムクと興奮が巻き上がってくる。白いタオルから突き出た太股に薄く青い血管が浮き出ていて、それをチラリと見るだけでも鼻血が出そうになった。
「‥‥準備、いいのか?」
「いいですよ。でも、ベッドの上」
そう言って、雪香はゆっくりと俺の手を握ってベッドへと誘ってくれる。俺はフラフラと彼女に誘われるがままにその手招きについていった。
「‥‥」
眩しい光が目蓋越しに差し込んでくる。俺はゆっくりと目を開ける。閉められたカーテンの隙間から、朝日が入り込んでいた。俺は眠気眼をこすりながら、大きくあくびをして上体を起こした。
「‥‥あったかいなぁ、今日は」
パンツ一枚という姿なのに、肌寒さを感じなかった。どうやら、今日は暖かいようだ。俺は隣に眠っているはずの雪香を呼ぶ。
「雪香、今日はあったかい‥‥って雪香?」
てっきり隣にいると思っていた雪香がいない。雪香がいた部分だけ、ぽっかり布団が空いている。
俺は辺りを見回して雪香を見つける。しかし、雪香はいない。おかしいな。昨日は結構普通に「事」を運ぶ事が出来たと思ったんだけどな。向こうも結構満足していたと思うし。
帰ってしまったのだろうか、と思って玄関に向かったが、そこには雪香の靴が置いてある。
「‥‥」
トイレかな? と思いトイレをノックするが、返事は無い。この狭い部屋ではそうそう隠れる所など無い。しかし、雪香はいない。俺は何が何だか分からず、鳥のように頭をキョロキョロと動かして雪香を探す。
「雪香? どこにいるんだ? いるなら返事しろよ」
「‥‥ここ。ここ」
どこからか声が聞こえる。間違いなく雪香の声だ。しかし、声はすれど姿は見えず。しかもその声はひどく小さい。
「どこだよ? 場所を言え」
「ここだってば。ここ」
俺は声がする方を向く。そこには冷蔵庫がある。そこから声は出ている。
「ここ。ここ」
間違いなく冷蔵庫の中から声がして、コンコンという音も聞こえる。
‥‥中から叩いている?
俺は何かを考える前に、冷蔵庫を開けていた。そこに、雪香はいた。素裸で、冷蔵庫の中で膝を曲げて入っていた。体が小さく、冷蔵庫が大きいので、雪香の体はすっぽりと冷蔵庫に納まっていた。雪香は俺を見るとおはよう、と元気よく言った。
「‥‥何してんの? お前」
「いやぁ、布団で寝ると、私、溶けちゃうから」
「‥‥溶けちゃう?」
「そっ。私の体、チョコレートで出来てるから」
「‥‥」
俺は気が狂ったのだろうか? 冷蔵庫の中で眠り、自分の体はチョコレートで出来ていると言う女が目の前にいる。俺は頭がおかしくなってしまったのだろうか? 実は昨日のエッチも夢だ、なんて事はないだろうな? いやいや、こんな非現実的な事が目の前で起こっているのだから、夢の可能性もある。
「‥‥信じられないって顔してますね。でも、本当なんですよ。私はチョコレートで出来てるんです。だから、いつも甘い匂いがしてたんです。甘い匂いの正体はチョコレートだったわけです」
「‥‥」
「夏目先輩?」
「‥‥どうやら俺は、アン○ンマンの世界に入り込んでしまったようだ」
「入り込んでませんよ」
「だって‥‥体がチョコで出来てるなんて言う女が目の前にいる‥‥」
「本当ですよ〜。現実ですよ〜。私はここにいますよ〜」
「‥‥」
「‥‥ふう。えいっ!」
目の前の女が拳を振り上げ、俺の腹に叩きつけた。ドズンッ! という鈍い痛みが走る。
俺はその瞬間に我に返ったが、予想以上に“いい”場所に拳がめり込んだらしく、俺はそのまま気を失ってしまった。
世の中には不思議な事があるものだ。科学では説明出来ない事がたくさんある。俺はその日、それを痛感した。
何故雪香がチョコレートで出来ているのかは分からない。当の本人も分からないらしい。雪香の両親はチョコレートが大好きらしいが、いくら何でもそれが理由で「チョコレート人間」が生まれるわけがない。んがしかし、目の前にいるのだから生まれたんだろう。
「ほれほれ、かじってみ」
そう言われて、雪香の腕を軽く噛んでみる。確かにチョコレートの味がした。見た目は完全に人間の体だ。感触もごく普通の人間の感触。しかし、味はチョコレートだ。う〜む。
雪香が冷蔵庫に入っていた理由は勿論、溶けない為だ。どうりで寒いのが得意なはずだ。だから、どんなに寒い日でも平気で薄着でいられたのだ。ちなみに溶けてもしばらくすれば元に戻るらしいが、再生するには時間がかかる、と雪香は言っていた。‥‥ター○ネーター2の敵みたいに再生するのだろうか? だったら、ちょっと見てみたい。
エッチの時に特に甘い匂いがしたのは、雪香の体が熱で少しずつ溶けた為だ。キスをした時やおっぱいを舐めた時に甘い味を感じたのは、溶けだしたチョコを舐めた為だったわけだ。うむ、確かにそう言われると全ての事に納得がいく。
「納得はいくが‥‥」
「まだ何かあるんですか?」
「何かあるんですかって‥‥何でお前みたいな奴がいるんだろう?」
「それは分かりません。世の中には不思議な事があるって事で納得してください」
「‥‥はい」
というわけで、俺はよく分からないまま、その凄まじい事実を受け止めてしまったわけである。
とは言うものの、それから俺と雪香の関係に大きな変化があったわけではない。チョコレートが喋っているというのは奇々怪々だが、エッチは出来るわけだし、毎回甘い匂いはするし、そんなに生活では困ってない。この際、分からない事は無視してしまおう、と決め付けてしまうと案外な〜んにも変わらなかったりする。
「ねえねえ」
「んにゃ?」
「こたつの中で眠ってみない?」
「朝起きたら、私、上半身だけになってますよ」
「恐っ!」
こんな会話が増えた事以外、な〜んにも変わらなかったのである。
終わり
あとがき
タイトル説明でも言ったように、「匂い」に焦点を当てた作品でした。結局その匂いの甘さは恋人の語らい的な甘さだったわけですが、まぁこんなもんでしょう(笑)。私の友達の嫁さんがこの作品をとても好きだと言ってくれました。かなり気楽に書いた作品だったんですけどね。
尚、2005年4月9に修正をして、アダルトなシーンを無くしました。あえてそこを描く必要も無いと思いましたので。「それ」目的で読んでいた方はご連絡ください。前のタイプをメールか何かでお渡しします。